荒れていた中学校
小中学生の問題児童を隔離する案が大阪教育委員会から出され、来春から実施するという。
内容は以下の通り。
一定レベルを超える悪質な問題行動を繰り返す児童・生徒を在籍する市立学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を新たに設ける。
象となる行為は、校内暴力、非行、著しい授業妨害などを想定。具体的には、市教委が昨年9月に策定した問題行動の5段階の分類のうち、「レベル4」(激しい暴力など)と「レベル5」(極めて激しい暴力など)に該当する場合、特別教室で指導する。その際、出席停止や警察など関係機関へ連絡したうえで、行為の悪質さや周囲への影響の大きさなどを考慮して期間を定める。
(朝日新聞2014年6月9日)
私は、このニュースを聞いた時に、自分の中学時代を思い出した。
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私は、神戸で育ち、神戸市立の中学校を出ている。時代は1990年代前半。
当時の神戸の中学校は荒れていた。
私が通った時よりも少し前の時代(1980年代後半)方が校舎の窓ガラスが割られたりしてもっと荒れていたのだけど、私の時代もまだ荒れていた。
具体的にどんな風に荒れていたのかというと、次のような感じ。
校内や近隣の中学との喧嘩は日常茶飯事で個別の喧嘩の話は印象に残っていないほど。
隣の中学生と喧嘩した生徒がいて、後日、隣の中学生の生徒が仲間や先輩とバイクで学校に乗り込んでくることしばしば。
授業をボイコッットすることが頻繁にあり、隣のクラスではある新任の女性教師の授業の時に、クラス全員が机を反対に向けて受けようとし、教室に入ってきたその新任の女性教師は泣きながら教室を飛び出し、そのまま退職してしまった。
今思うと、いくら教師といっても新任(つまり大学出たて)で、いきなりこんなことをされたら、相当なショックなはずだ。
あの女性教師は教師を辞めたあとどうしたんだろう?
公立の中学校の生徒はいろんなタイプがいた。
暴走族に入っていて、明らかに普通の中学生ではなかった人。
喧嘩することしか本当に考えてなかった人。
尾崎豊をリスペクトしすぎて、歌の通りの行動をする人
(バイクを盗んだり、行儀よく授業を受けなかったりetc)
本当のアホもたくさんいた。
どのくらいアホかと言うと、自分の名前の漢字が書けないくらい。
学校の勉強なんて言うまでもなく、点数はよくて一桁。
(関西という文化圏からか、ここまでアホだと逆にみんなから少し愛される)
当時は、学校のシステムも今とは違って異常だった。
特に2つのシステムは今振り返ってみても異常だった。
●男子生徒の髪型は丸刈りが強制だったこと。
神戸市立では全国でも最後まで校則で丸刈り強制が残っていたのだ。
この校則は、私が1年生の時に当時の生徒会が学校側と何度も交渉して、丸刈りの校則はなくなった。
なぜ丸刈りが校則としてあるかという生徒会側からの質問について中学校側「丸刈りは中学生らしい髪型だ」と回答したことが印象に残っている。
●暴力教師が普通にいたいこと。
暴力教師の風貌はどう見ても教師ではない感じだったのだけど、特に問題のある中学校をローテーションで持ち回りしていた。
暴力教師の恐ろしさを目の当たりにした印象的なシーンがある。
校舎3階の教室の窓から、校舎の外にいる暴力教師のことをからかう発言した生徒がいた。その瞬間、暴力教師は猛ダッシュで校舎3階まで駆け上がり、からかう発言をした生徒の所までいき、生徒の頭を片手で掴み、教室の後ろにある掃除ロッカーに、頭を何度もぶつけた。
そして、生徒に「顔洗ってこい!」と言い去っていった。
私は、この様子を隣から見ていたのだけど、明らかに生徒の顔からは血が出ていて、掃除ロッカーはへこんでいた。
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今回の大阪市が導入する隔離のシステムについて思うことは、いつの時代もこのような生徒はいるんだなっていうことと、昔だったら教師が直接的な力でねじ伏せようとしていたけど、今はそれをすると問題だからこのようなシステムが必要なんだなっということ。
あの時、暴れまくっていた生徒や暴力教師は、今頃何をしているんだろうか?
ちょっと気になった。